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浦和地方裁判所 平成2年(わ)366号 判決 1990年11月22日

主文

被告人を懲役一年に処する。

未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入する。

押収してあるガスライター一個(平成二年押第九七号符号1)を没収する。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、平成二年五月二四日午後一〇時ころ、パチンコに負けた腹いせなどから、埼玉県大宮市<住所略>所在のアパート涌井荘駐車場において、同所に駐車中の黒木孝文所有の普通乗用自動車を覆ったポリエステル製ボディカバーに所携のガスライター(平成二年押第九七号符号1)で火をつけ、右ボディカバーの一部を焼燬するとともに、右自動車のボディの一部の塗装を熱により痛め(修理代金合計一八万九四〇円)、もって他人の器物を損壊したものである。

(証拠の標目)<省略>

(建造物等以外放火罪を認定しなかった理由)

本件公訴事実は、「被告人は、判示の日時場所において、判示の如き方法でポリエステル製ボディカバーを燃え上がらせ、そのまま放置すればアパートに延焼するおそれのある状態を発生させ、もって公共の危険を生じさせた。」というのであって右は刑法一一〇条一項に該当する、とされているのであるが、これに対し、当裁判所は器物損壊罪の限度で認定したのであり、以下この点について説明を付加する。

一 刑法一一〇条一項にいう公共の危険とは、同法一〇八条、一〇九条一項の物件に延焼する危険、その他不特定多数人の生命・身体・財産を侵害する危険をいうのであり、右の危険が発生したというためには、一般通常人をして右の延焼等の虞れがあると危惧させるに相当する状態に至ったことをいい、その判断は発火当時の諸般の事情を基礎にした合理的判断によるべきであると解される。

二 前掲各証拠に加えて司法警察員作成の平成二年六月三日付け実況見分調書、司法警察員作成の「建造物等以外放火現場付近の建物等の状況について」と題する捜査報告書及び大宮市消防長作成の「気象状況について(回答)」と題する書面を総合すれば、先に罪となるべき事実において判示した事実のほか、次の各事実を認めることができる。

1 本件犯行現場の状況

涌井荘駐車場(間口7.6メートル、奥行5.1メートル、コンクリート敷)は、涌井荘西側に位置し、同駐車場の南側は高さ一メートルのブロック塀をはさんで涌井貞一方に、西側は幅員3.2メートルの道路を隔ててブロック塀をはさんで碓田商事不動産に、北側はブロック塀をはさみ幅員1.2メートルの道路を隔てて鈴木俊輝方に、それぞれ面しており、周囲は住宅街となっている。黒木孝文所有の普通乗用自動車(以下「被害車両」という。)は、右駐車場に前部を西側に向けて駐車されており、その位置は、前部は同駐車場の出入口から0.3メートル、後部は涌井荘から0.56メートル、左側は南側ブロック塀から2.6メートル、右側は北側に駐車してあった普通乗用自動車(名古屋七七の二二五八)から0.9メートルであった。

2 被害車両の状況

ボディカバーはポリエステル製であり、その焼失部分は被害車両の右側前車輪上で、焼失面積は約0.6平方メートルであって、ボディカバーのみが燃えて、他の部分については燃えなかったのであり、熱によって被害車両の塗装が痛んでいる部分は、右側前車輪横のボディで、焼失面積は約0.33平方メートルである。

3 火力の程度

第一発見者である桜井信雄がボディカバーが燃えているのを発見した当時、炎の高さは最大で一〇センチメートル位で、被害車両の右側前車輪上から運転席の方にかけて、縁の五、六ヵ所から炎が出ている部分と消えている部分とがあり、燃え上がるというよりはなめるように横に広がっていくという状態であり、七、八回位息を吹きかけたら消えたという程度の火力であった(なお、平成二年六月二日に大宮西警察署において、同種のボディカバーを用いた燃焼実験が行われたが、右燃焼実験の経過を記載した司法警察員作成の平成二年六月三日付け実況見分調書添付写真5ないし21及び被告人の当公判廷における供述によれば、点火した炎はいったん前後左右に燃え広がったものの、延焼の仕方は非常にゆるやかなものであり、時間の経過により炎は次第に細くなり、着火後一四分の時点で炎の大半は自然鎮火し、残っていた炎は二、三か所にすぎなかったことが認められる。ところで右燃焼実験では、何故か着火後一四分の時点で消火作業が行われており、そのまま放置した場合にボディカバーが燃え続けたか否かが明らかにされていないけれども、前記燃焼の経緯に照らせば、自然鎮火した可能性は少なからず存在したものと考えられる。)。

4 涌井荘の構造及び駐車場に面した壁の材質

涌井荘は木造瓦葺二階建であり、建物の周囲はサイディング(亜鉛鉄板通称トタン)張りで厚さ0.4ミリメートルで、表側は白色塗料を塗り、内側は石こうボードで裏打ちされている。

5 事件当日の気象状況

本件犯行時である平成二年五月二四日午後一〇時ころは、天候晴天、風速2.6MS、風向東、温度16.3℃、湿度七〇%であり、消火した桜井信雄は「ほとんど風はなかった」旨供述している。

三 以上の各事実からすれば、なるほど被害車両後部と涌井荘との距離がわずか0.56メートルしかなかったことは検察官の指摘するとおりであるけれども、前記認定した火力の程度、ボディカバーや被害車両の燃焼の状況、当時の気象状況、燃焼実験の経緯等からすれば、本件の場合、桜井信雄が消火することなくそのまま推移したとしても、炎は自然に消えるに至っていたであろう蓋然性がかなり高かったと認めざるをえず、したがって未だ付近の建造物等への延焼に至る客観的な危険性を肯認しうる状況にも、一般人をして右のような結果を生ずるおそれがあると危惧させるに足りる状態にも至っていなかった(桜井信雄、鈴木隆三郎は、消火ないし目撃当時、右のようなおそれを感じたかの如くに供述しているが、それは発見当時の狼狽もあり、とっさにガソリンに引火したら大変だという危惧感を抱いたというに止まるものであって、言い換えると、そのまま放置すれば、付近の建造物への延焼のおそれのある状態に至るのではないかとの抽象的な危険を意識したというにすぎず、右供述は公共の危険の発生の証左とするに足りるものではないというべきである。)と考えるのが合理的であると認められる。

(累犯前科)

被告人は、(1)昭和五五年一〇月三〇日東京地方裁判所で現住建造物等放火、現住建造物等放火未遂、建造物等以外放火、器物損壊の各罪により懲役六年に処せられ、昭和六一年八月二二日右刑の執行を受け終わり、(2)その後犯した器物損壊罪により昭和六三年四月二〇日東京地方裁判所で懲役六月に処せられ、昭和六三年九月三〇日右刑の執行を受け終わったものであって、右各事実は検察事務官作成の前科調書及び右(2)の判決書謄本によってこれを認める。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法二六一条、罰金等臨時措置法三条一項一号に該当するところ、所定刑中懲役刑を選択し、前記の前科があるので刑法五九条、五六条一項、五七条により三犯の加重をした刑期の範囲内で被告人を懲役一年に処し、同法二一条を適用して未決勾留日数中一二〇日を右刑に算入することとし、押収してあるガスライター一個(平成二年押第九七号符号1)は、判示の犯行の用に供した物で被告人以外の者に属しないから、同法一九条一項二号、二項本文を適用してこれを没収し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書を適用して被告人に負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、被告人が、仕事仲間のいやがらせにあったり、パチンコで負けたりしたことの欝憤や酒を飲んでいたこともあり、自分はこんなみじめな生活をしているのに他人は何でこんないい車に乗っているんだというやっかみから、所携のガスライターで乗用車のボディカバーに火を付け、ボディカバー及び乗用車のボディの一部を損壊したという事案であるが、その動機において酌量の余地はなく、安易に他人の財産に火を付けるという行為の危険性や被告人には本件と同じく飲酒の上、所携のライターでシートカバー等に火を付けたという放火、器物損壊の前科が二犯あり、服役し更生の機会を与えられたにもかかわらず、三たび同種手口の犯行を繰り返したものであること、さらに現在に至るまで被害弁償はなされておらず、またその可能性もないことを併せ考えると、再犯のおそれも少なくなく、犯情はまことに芳しくないという他はなく、被告人の刑責は重いといわなければならない。

しかしながら、本件は器物損壊罪に留まっていること、被告人は自首をし、当公判廷において真摯な反省の態度を示していること、今後は酒を断ち更生することを誓っていること、被告人が以前稼働していた株式会社深谷組社長深谷和尚が再度被告人を雇用し、その更生に協力する旨証言していることなど被告人のために酌むべき事情もあるので、これらの事情を総合考慮して主文掲記の量刑を相当と思料した次第である。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官日比幹夫 裁判官倉沢千巌 裁判官園原敏彦)

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